カミとカルヴィーノと長新太
★長さんの絵本、マイベスト
①キャベツくん
②つきよ
③ちへいせんのみえるところ
④つみつみニャー
⑤へんなおにぎり
⑥なんじゃもんじゃ博士
![]()
いつも思っていたんだが。長新太さんの、あの独特の「絵と文」が一緒になった大傑作は、どこから生まれてきたんだろう。途方もなくナンセンスな絵物語の想像力の源は、どこにあったのだろう。
長さんは、漫画家として出発した。
しかし、仕事がどんどん増えだしたのは、絵本の分野である。
60年代から70年代にかけては、もっぱら絵本や童話の「絵だけ」を描いていた。
この時期の作品では、おしゃべりなたまごやき(文、寺村輝夫)、ぴかくんめをまわす(文、松居直)などが、わたしの大好きな作品である。
60年代後半からは、ジュヴナイルやSF小説の挿画を描くことも多くなった。
しかし、まだ「絵だけ」の時代である。(文は別の人が書いたものである)
「絵と文」を両方、描き始めるのは、もう少し、後になる。
当時のものとしては、フレドリック・ブラウンの「ミッキーくんの宇宙旅行」、ジョン・ウィンダムの「深海の宇宙怪物」などが、わたしのお気に入りである。
他にも、北杜夫の「船乗りクプクプの冒険」、今江祥智の「山のむこうは青い海だった」などの作品もある。
これは全く個人的な感想だが、このころの長さんは、こうしたSFやジュヴナイル小説の挿画を描きながら、じっくりと自分の物語を蓄えていた時期だと思う。もちろん、既に、「おしゃべりなたまごやき」、「ぴかくんめをまわす」等の傑作を描いているのだが、先に書いたとおり、これらは長さんにとっては「絵だけ」を描いた本だ。長さん独特の「絵と文」が一緒になった大傑作がどんどん出てくるのは、70年代後半になってからなのである。
そして、それが生まれてくるきっかけの一つになったのが、こうしたSFやジュヴナイル小説の挿画の仕事だったと思うのだ。
![]()
そして、それに加えて、以降の長さんの絵本の仕事に、決定的な影響を与えた「本」があったと思う。
長さんが80年代以降、独特のナンセンス絵本、壮大で途方もない絵物語の傑作を次々と生み出していく契機と基盤になったのは、(たぶんわたしだけが思っているのかもしれないが)、この二つの本の挿画を経験したことだと思うのである。
ひとつは、ピエール・カミの「ルーフォック・オルメスの冒険」、
もうひとつは、イタロ・カルヴィーノの「柔かい月」である。
どちらも、途方もなく面白い小説である。
ナンセンス文学の極北なんて惹句がぴったしの作品である。
「モダンで奇抜でナンセンス、とてつもなく愉快でだんぜん風変わりな、奇才溢るる大笑いの作家」と称せられたカミや、「奇想天外の宇宙的法螺話」の語り部であるカルヴィーノの物語に出会ったことが、長さんにとって大きな転換の契機となった。ここで、じっくりと自分の物語を磨き、蓄えていったことが、その後の「絵と文」が一体になった傑作群を産み出すことに繋がっていったのだと思う。
カミとカルヴィーノは、それだけのエネルギーと影響力を持った作家であり作品であった。実際に、「ルーフォック・オルメス」に登場する怪しき男たちは、後に長さんの怪人イカ男やジャガイモ男に姿を変えるのであるし、カルヴィーノの法螺話の語り部である「Qfwfgじいさん」は、長さんの絵本の語り口の中に脈々と生きているのだと思うのである。
★長さんの絵本、マイベスト
①キャベツくん
②つきよ
③ちへいせんのみえるところ
④つみつみニャー
⑤へんなおにぎり
⑥なんじゃもんじゃ博士
いつも思っていたんだが。長新太さんの、あの独特の「絵と文」が一緒になった大傑作は、どこから生まれてきたんだろう。途方もなくナンセンスな絵物語の想像力の源は、どこにあったのだろう。
長さんは、漫画家として出発した。
しかし、仕事がどんどん増えだしたのは、絵本の分野である。
60年代から70年代にかけては、もっぱら絵本や童話の「絵だけ」を描いていた。
この時期の作品では、おしゃべりなたまごやき(文、寺村輝夫)、ぴかくんめをまわす(文、松居直)などが、わたしの大好きな作品である。
60年代後半からは、ジュヴナイルやSF小説の挿画を描くことも多くなった。
しかし、まだ「絵だけ」の時代である。(文は別の人が書いたものである)
「絵と文」を両方、描き始めるのは、もう少し、後になる。
当時のものとしては、フレドリック・ブラウンの「ミッキーくんの宇宙旅行」、ジョン・ウィンダムの「深海の宇宙怪物」などが、わたしのお気に入りである。
他にも、北杜夫の「船乗りクプクプの冒険」、今江祥智の「山のむこうは青い海だった」などの作品もある。
これは全く個人的な感想だが、このころの長さんは、こうしたSFやジュヴナイル小説の挿画を描きながら、じっくりと自分の物語を蓄えていた時期だと思う。もちろん、既に、「おしゃべりなたまごやき」、「ぴかくんめをまわす」等の傑作を描いているのだが、先に書いたとおり、これらは長さんにとっては「絵だけ」を描いた本だ。長さん独特の「絵と文」が一緒になった大傑作がどんどん出てくるのは、70年代後半になってからなのである。
そして、それが生まれてくるきっかけの一つになったのが、こうしたSFやジュヴナイル小説の挿画の仕事だったと思うのだ。
そして、それに加えて、以降の長さんの絵本の仕事に、決定的な影響を与えた「本」があったと思う。
長さんが80年代以降、独特のナンセンス絵本、壮大で途方もない絵物語の傑作を次々と生み出していく契機と基盤になったのは、(たぶんわたしだけが思っているのかもしれないが)、この二つの本の挿画を経験したことだと思うのである。
ひとつは、ピエール・カミの「ルーフォック・オルメスの冒険」、
もうひとつは、イタロ・カルヴィーノの「柔かい月」である。
どちらも、途方もなく面白い小説である。
ナンセンス文学の極北なんて惹句がぴったしの作品である。
「モダンで奇抜でナンセンス、とてつもなく愉快でだんぜん風変わりな、奇才溢るる大笑いの作家」と称せられたカミや、「奇想天外の宇宙的法螺話」の語り部であるカルヴィーノの物語に出会ったことが、長さんにとって大きな転換の契機となった。ここで、じっくりと自分の物語を磨き、蓄えていったことが、その後の「絵と文」が一体になった傑作群を産み出すことに繋がっていったのだと思う。
カミとカルヴィーノは、それだけのエネルギーと影響力を持った作家であり作品であった。実際に、「ルーフォック・オルメス」に登場する怪しき男たちは、後に長さんの怪人イカ男やジャガイモ男に姿を変えるのであるし、カルヴィーノの法螺話の語り部である「Qfwfgじいさん」は、長さんの絵本の語り口の中に脈々と生きているのだと思うのである。